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BRG History .... 結構、古くからやっているんですよ!!
1989年 寄木俊哉と白方伸治が二人が勤める会社の同僚の結婚式でギター2本で「ラ・バンバ」を演奏する。これがBRGの母体となる。

1990年 佐藤謙二が寄木、白方と同じ会社に運悪く(?)入社する。半強制的にバンドのメンバーとなり「BRG」が結成される。当初、白方がVo & G、寄木がB、謙二がDrであったが、寄木の「ベースはつまらんのでドラムをやることにする。」という「鶴の一声」で謙二がベースを担当することとなる。もちろん謙二の意思は考慮されることは一切無かった。

1991年 初代ギターリスト、大島伸が加入。若かりし大島は「吉田栄作そっくりのナイスガイ」で、彼を目当てに、BRGの観客動員の8割が 女性という今では考えられない輝かしい時代がスタートする。「ビジュアル系バンドBRG」の黄金時代を迎える。

1993年 「史上最強のマイペース男」 キーボード三瓶英彰が加入。演奏での伝説は一切無いが、ワインを飲みすぎて泡を噴いて失神する。ライブ演奏中に無断でトイレに行く等、数々の伝説をつくる。そしてこのころから、「ビジュアル系」に陰りが見えはじめる。

1994年 大島伸、業務上都合により、バンドを脱退。欧州へ飛ぶ。「大島さよならライブ」では白方が信念を曲げ、大島の為に「クイーン」(ボヘミアン ラプソディー、We are the champion)を熱唱し、大好評を受ける。(しかし、白方はこれ以降、「クイーン」を封印する。)
大島脱退後、観客動員の8割の女性客が9割のオヤジ達に変貌する。「ビジュアル系バンドBRG」の終焉となる。
その後、2代目ギターリスト、加藤一馬。幻の3代目ギターリスト、「本物の外人」ケニーランキンが加入する。大島脱退後の最大の目玉として、「外人 ケニー」で観客動員倍増を謀るも、肝心のケニーが自身のお披露目ライブをドタキャン。その後、失踪。観客動員倍増計画は失敗に終わる。

1999年 佐藤公彦、BRGのオーディションを受ける。なぜかギターなのにベースで受けさせられる。「ベースが弾けるから、ギターも弾けるだろう。」との理由で正式加入を認められる。これでフロントがダブルミラーボールとなり、「非ビジュアル系バンド BRG」の幕が開ける。
また、公彦の加入をきっかけに、白方はギターを取り上げられ、ボーカル&カウベル、マラカス担当となる。

2001年 変態トランペッター鷲田雄一郎が加入。ステージで自身が演奏するときは「ど派手」に、吹かないときは股にトランペットを挟み、爪を見ながら妄想にふけるという独自のスタイルを確立。

2002年 加藤一馬、業務上都合により惜しまれつつ活動休止。加藤の活動休止により、BRGのビジュアルは完全に崩壊する。

2003年  大島伸、欧州より帰国情報を得る。これにあわせ「BRG女性客動員倍増プロジェクト」を発足。同年5月、大島帰国。しかし、大島には昔の面影は既に無く「非ビジュアル化」がかなり進行。女性客動員倍増計画はこの時点で頓挫する。

2004年  大島伸、ついに「非ビジュアル系として」復帰。

2005年 佐藤謙二、業務上都合により惜しまれつつ活動休止。新メンバーにはビジュアルに耐えられる人材をとのことで「BRGピンポイントビジュアル化計画」を実行。佐藤綾、岡田美由紀、桐山桂吾を迎える。

2006年 「BRGピンポイントビジュアル化計画」第二弾、榊文、万を持して投入。

2007年 「家族に優しいBRGキャンペーン」榊おさむに「召集令状」が・・・。濃厚ホーンセクション完成。

2009年 親父バンドに脅威の若手、K安川現る。

2010年 なぜだ親父バンドに「嫁入り前のこの娘が」JJ参入。大事件発生。白方伸治、上海に転勤。何故この時期に激動の中国へ。果たして生きて帰って来れるのか?どうなるBRG?現在に至る。

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